猫の神様に育てられた少年
1978年3月23日木村きみさんの自宅で録音。整理番号K7803231UP。
流行病あるいはtopattumi「群盗」によって家族を失い、たったひとりで生き残った主人公が、何かのkamuy「神様」に育てられて成長するという物語は、これまで数多く記録されている。ただ、この話で特徴的なのは、それがcape「猫」であるということであろう。アイヌの口承文芸において、猫は概してあまり良いものとしては扱われず、むしろ人間に害をなす存在として描かれることが多いからである。木村きみ氏の伝承でも、私の採録した「魔猫」(K8010311UP)では、飼い主である主人に懸想した雌猫が、その妻を殺して肉を食い、その肉に味をしめて息子や娘を殺していくという、凶悪な存在として描かれている。
他の話で、たとえばワシだとかカッコウだとかが人間を育てるという場合、その元の正体であるkamuyの性質が、人間の姿での活動を制約することは少ないのだが、この話では、元が猫であるので、おじいさんが捕ってくるものはシカやクマなどではなく、せいぜい鳥やウサギやキツネまでで、年老いてくるとそれもあまりうまくいかなくなって、自分たちはネズミを捕ってかじっている。そういうところから、おじいさんおばあさんは本当は人間ではないのではないかと、主人公の少年に疑われたりしている。こういう点も特徴的なところであるだろう。
もうひとつ興味深い点は、topattumiの絡んでくる多くの話では、最後にそのtopattumiをしかけてきた村へ主人公たちが復讐にでかけ、相手を全滅させるという展開になるのが普通である。しかし、この話では、sisam irenka「和人の法度」があるので、結局復讐しないで終わる。このようにtipattumiをめぐる話に和人が絡んでくるのは珍しい。猫という、あきらかに比較的近年になって和人からもたらされたと思われる動物が、重要な役割を果たすことも含め、和人との関係を背景に成立している物語と考えてみてよいだろう。
なお、中川裕『アイヌの物語世界』(平凡社1997)119-121頁で、kamuyが人間を育てる話の例として、本話の概略を紹介している。

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