片山龍峯(かたやま たつみね)氏(1942-2004)は映像作家であり、海外にも広く取材して良質なドキュメンタリー番組を数多く作り上げてきた人だが、その傍らアイヌ語の研究およびアイヌ語を普及させるための教材を作ることに、多大な努力を重ねた人である。片山氏とアイヌ語の関係は、1973年秋に釧路の八重九郎氏に出会ったことに始まるということだが、その後、阿寒の山本太助氏、白糠の増野光教氏、猿賀リサ氏、土井カヨ氏などとの邂逅を経て、おもに道東の方言からスタートした。当時は道東方言についてはほとんど専門の研究者はおらず、その意味でもパイオニア的な存在だったということができる。
独学でアイヌ語を学び続けた片山氏は、話者のいなくなりつつあるアイヌ語の現状に何かできることはということで、映像作家としての力を駆使し、1987年にカムイト゜ラノ協会から、『アイヌ語会話(初級編)』を刊行した、これは萱野茂氏を中心に、沙流郡平取町の人々の協力を得て作成されたもので、VHSビデオテープ4巻がついて、映像を見ながらアイヌ語を学習できるという、当時としてはもちろん、現在でも画期的な教材であった。
その後、片山言語文化研究所―実質的には片山氏の自宅―から、数々のアイヌ語教材を刊行していく。
1992年には、萱野茂氏・上田トシ氏の協力を得て、『アイヌ語会話』の中・上級編ともいうべきアイヌ語日常会話集『凍ったミカン』を刊行。1995年には千歳のアイヌ語話者である白沢ナベ氏、中本ムツ子氏、また西山史真子氏、成田英俊氏、松田ふみ氏という画家・イラストレーターの協力を得て、日本語を一切表示しないという、これまた画期的なアイヌ神謡の絵本『カムイユカラ』を出版した。中本ムツ子氏との親交はその後も続き、1999年には、中本氏自身の生い立ちの記を、アイヌ語とイラストで表現した『アイヌの知恵 ウパシクマ1』を、2001年にはその続編の『アイヌの知恵 ウパシクマ2』を刊行。また知里幸恵生誕100年の2003年には、幸恵の『アイヌ神謡集』を詳細に分析した『アイヌ神謡集を読みとく』を草風館から刊行しており、それに伴って、『神謡集』のすべての神謡を中本氏の歌唱で吹き込むという試みを行った。アイヌ文学に素養のある人には周知のことだが、『神謡集』中の神謡がどのようなメロディで謡われたものであったかは不明であり、片山氏と中本氏はそれを類話の録音などをもとに再現、あるいは創作したものらしい。これもまた、片山氏の大胆な試みであった。
その間、1993年には北海道ウタリ協会の依頼を受けて、ウタリ協会としての初めてのアイヌ語教科書である『アコロ イタク』(1994)用の、アイヌ語会話の映像教材の採録を行った。この映像教材自体は結局公刊されることはなかったが、その撮影の過程で本資料の話者である新井田セイノ氏および吉村冬子氏と出会い、鵡川方言の教材作成につながったと考えられる。
片山氏にはもうひとつの顔があり、それはアイヌ語と日本語の系統関係の探求者という側面であった。その関係で、片山氏は1989年4月1日に梅原猛氏・藤村久和氏を中心に京都の小学館編集部で行われた座談会に出席し、その内容が梅原・藤村編『アイヌ学の夜明け』(1990、小学館)となって出版されている。片山氏はその座談会の後で、当時日本文化研究センターの所長であった梅原氏から、日本語とアイヌ語の系統論の研究をセンターとの共同で行うことを提案されているが、考え方の違いがあるということで、その場で断っている。そしてその彼自身のアイヌ語・日本語同系論の集大成が、1993年にすずさわ書店から出版された『日本語とアイヌ語』であった。
当時千葉大学助教授であった中川が、片山氏の知己を得たのも、上記の座談会であった。その縁から、カムイト゜ラノ協会主催で1989年に東京で開かれた「アイヌ語弁論大会」(現在アイヌ文化振興研究推進機構で開かれている「イタカンロー」とは別物)に、千葉大の学生を参加させることになった。そしてその後、その弁論大会の出場者を中心に、中川が代表者となってアイヌ語の学習会である「パルンペ」というグループを結成し、四谷にある片山氏の事務所で定期的に会を開くことになった。同会では1993年2月以来『パルンペ』という、アイヌ語で作品を書きあうという同人誌を発行し始め、1996年9月の第9号まで続いたが、片山氏は1号も欠かさず「レプン モシリ オッタ クヌ ワ クヌカラ オルシペ」(外国見聞記)という表題で、自筆のイラスト入りのアイヌ語作品を投稿し続けた。しかし、片山氏は2004年8月10日に、療養中のアメリカ・ダラス市で62歳で急逝する。その後のアイヌ語学習者の増加や、若い人たちによるアイヌ文化の新しい動きを見るにつけ、もう少し長生きしてくれていたら、自身のまいた種がどのように成長したかを見ることができたのにと、悔しい思いを禁じえない。
音声資料を聞いていただければ、その片鱗がうかがえると思うが、片山氏はたいへん柔和な声と話しぶりで、物柔らかな感じの人でありながら、やろうと思ったことは何が何でもやるという強靭な精神と実行力を持っている人であった。だからこそ、他人のやらなかったこれだけの教材を、私財を投じて作り続けてこれたのだと思う。今回公開するアイヌ語鵡川方言音声資料も、入院先のダラスの病院にまで持って行っていたそうである。亡くなる直前までこの辞書を完成させようと、奮闘していたのであろう。その衣鉢を継ぎ、残された資料を活用することによって、心からご冥福を祈りたいと思う。
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