アイヌ語鵡川方言 日本語ーアイヌ語辞典
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新井田セイノ氏および吉村冬子氏について

新井田セイノ(あらいだ せいの)氏

母:新井田チヨ氏(鵡川)、父:藤本カネキチ氏(静内)。母方の祖父は新井田サカンリトクという鵡川の人。戸籍上は1917(大正6)年4月4日、鵡川町(現・むかわ町)生まれとなっているが、実際は1915(大正4)年8月17日(18日?)、静内(現・新ひだか町)生まれ。2歳ぐらいから母親につれられて静内から鵡川に来て、鵡川のチン(現・むかわ町汐見)で育った。

小さい頃から子守奉公に出たため、親と暮らした期間はそれほど長くなかったが、アイヌ語は近所に住んでいたサカンリトク氏から聞いて覚えたという。新井田氏の言によると、「孫婆さん元気でいた時は、おばさんも来るし、孫婆さんも来たし、私も行ったりしていたから、たまたま静内の言葉も聞くし、だから、たまたま静内の言葉もやっぱり覚えてはいる」ということである(以上、遠藤志保他の記録による)。

新井田氏は、「鵡川方言について」で触れた、昭和63(1988)年度『アイヌ民俗文化財調査報告書』(北海道教育委員会)の被調査者の中心的な人物であり、平成4(1992)年には鵡川アイヌ語教室講師も務めている。そして「片山龍峯氏について」のところで触れた、北海道ウタリ協会(1994)『アコ イタ』にともなう片山氏による映像資料によって、それまで彼女を知らなかった人たちにも、広く存在を知られるようになった。片山氏が新井田氏の話を聞いてその元を訪れた際には、長年アイヌ語を使っていなかったために、単語や短文程度しか思い出せなかったということだったが、片山氏がアイヌ語で話しかけ続けたためか、翌日に再び訪れた時には、自分の祖父の思い出話をまるまるアイヌ語で語れるようになっていた。それを聞いていた吉村冬子氏が、「姉がこんなに(アイヌ語で)話すのを、初めて聞いた」と語ったのが、その映像資料に残っている。

以来、白老のアイヌ民族博物館をはじめとして、各地で神謡(カムイユカ)などの口演に招かれるようになり、それらの功績から、平成7(1995)年には北海道文化財保護功労賞および鵡川町文化賞を受賞。また、STVラジオの「アイヌ語ラジオ講座」では平成12年度10~12月期(講師・片山弘子)および平成14年度10~3月期(講師・片山弘子、支援研究者・佐藤知己)で協力者を務め、平成13(2001)年にはアイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化賞を受賞。現在白老のアイヌ民族博物館HP上の「アイヌ語アーカイブ」において、新井田氏のテキストのあらすじが音声サンプル付きで見られる。2011年11月没。享年94(96)歳。

吉村冬子(よしむら ふゆこ)氏

母:新井田チヨ氏(鵡川)、父:小石川サンクシテ氏(穂別)。1926(大正15)年12月19日生まれ。鵡川のチン(現・むかわ町汐見)で生まれ育った。母親が新井田セイノ氏と同じで異父妹にあたるが、一緒に暮らしたことはなかった。

吉村氏が17歳の時に母親が死ぬまで、両親と一緒に暮らしていた。母親ももともと汐見の人で、近所の人が遊びに来ては母親とアイヌ語でしゃべったり物語ったりするのを、吉村氏は耳にして育った。そこで聞いていたアイヌ語が残っているとの話である。
吉村氏の言によると「父親と母親とはね、本当に易しい言葉が二人で語り合うけど、ちょっと難しい言葉になったら母親はもうアイヌ語ばっかり、父親はシャモの言葉でかえる」ということで、簡単なことであれば両親はアイヌ語でも会話していたということである。(以上、遠藤志保他の記録による)

頭脳明晰な方で、平成6(1994)年から鵡川アイヌ語教室の助手を務め、平成8(1996)年からは同教室の講師を務めている。また、平成10(1998)年にはアイヌ文化振興・研究推進機構主催のアイヌ語弁論大会で、最優秀賞を受賞している。それらの功績で、平成16(2004)年には、同機構のアイヌ文化奨励賞を受賞。また、平成24(2012)年度のSTV「アイヌ語ラジオ講座」では、孫の押野朱美・里架姉妹が講師を務める同番組で、文化指導を担当している。

新井田セイノ氏 アイヌ文化振興・研究推進機構ホームページより
新井田セイノ氏 アイヌ文化振興・研究推進機構ホームページより
吉村冬子氏 押野朱美氏(左)・里架氏(右)と
吉村冬子氏 押野朱美氏(左)・里架氏(右)と