アイヌ語鵡川方言 日本語ーアイヌ語辞典
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本資料について

本資料は、片山龍峯氏が新井田セイノ氏ならびに吉村冬子氏から、アイヌ語鵡川方言の日本語—アイヌ語辞典を作成することを目的として、語彙およびそれを用いた短文表現等にかんする聞き取り調査を録音したものである。遺されたテープによると、この調査は1996年11月22日から2002年2月21日にかけ、5年余りの歳月をかけて行われた。調査場所は、鵡川町(現・むかわ町)の吉村冬子氏の自宅であることが多いが、一部のテープは門別町(現・日高町)の鍋沢強巳氏の自宅において行われている。

120分録りのカセットテープで66本(番号自体は74まで振ってあるが、欠落が8本ある)が遺されている。必ずしもAB両面が最後まで録音されているわけではないため、録音時間の合計は約150時間になる。なお、テープに欠巻があるため、一部の項目(『萱野茂のアイヌ語辞典』日本語索引における「強い雨」から「~(し)ても」、「骨」から「み(実/箕)」)については収められていない。また、本資料においては、会話の不自然な中断が多く見受けられ、片山氏の日本語例文の発話自体、最初の部分が切れていたりすることがよくある。まったく同じ録音と思われるものが、複数のテープで聞かれるという例もある。そういったことから、本来はもっと長時間の録音があり、それを最終的に辞書の形にまとめるために、必要部分を抜き出して作成されたのが本資料ではないかとも考えられる。

本資料は、2004年に片山氏が死去したのち、夫人の片山江氏のご厚意により、このカセットテープの状態で千葉大学の中川に委託されたものである。これ以外に何かこれに関するノートやメモの類があったかどうか、また編集前の原録音のようなものがなかったかどうかは、現在のところ不明である。

同テープには単語・短文の聞き取りばかりでなく、新井田・吉村両氏の幼少時の思い出を日本語・アイヌ語で語ってもらったものや、新井田氏による散文説話や即興歌などが録音されたりなど、広く鵡川の文化・生活にかかわる話題も含まれており、鵡川地方のアイヌ語・アイヌ文化を理解するために、非常に貴重な資料となっている。

中川はこの資料を活用すべく、当時吉村冬子氏の孫にあたる押野朱美・里架姉妹が在籍していた札幌大学の本田優子教授を研究分担者として、「アイヌ語鵡川方言の音声資料による記述的研究」という研究科題名で、平成23-25年度科学研究費補助金(基盤研究(B))を申請・獲得した。

研究協力者として、千葉大学側では千葉大人文社会科学研究科博士後期課程の遠藤志保、小林美紀、深澤美香、前期課程の吉川佳見、東京大学の藤田護、札幌大学側では文化学研究科院生の長谷仁美、志田奈津紀、文化学部学部生の浅利真有、高橋香織、遠藤さくら、佐藤稜也、岡田勇樹、北嶋由紀、山本りえ、中村脩、本田大輔、木村君由美、竹内隼人、早坂由似、村上亮介、茂木涼真、石門恒成、佐々木翔太、中村晴華、西村晃太の計25名が参加し、手分けしてテープの聞き起こしを行った。その聞き起こし結果について、千葉大で遠藤、小林、深澤、藤田を中心にチェックを行い、不明部分の一部は吉村冬子氏に直接確認を行った。そして前記の遠藤以下4名によって今回の公開部分の抽出を行ったものを、最終的に中川がチェックして、今回の資料とした。

「片山龍峯氏について」のプロフィールでもわかるように、片山氏は言語学の研究者ではなく、テレビ番組などの作成に携わってきた映像作家であり、またアイヌ語教材の開発をおもな目的として活動していた。したがって、この残された音声資料も、通常の言語学的な調査資料とは異なる性格を持っている。

片山氏の目的は音声付の日本語アイヌ語辞典の作成というところにあったと考えられる。そのために氏は『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂、1997)の日本語索引をベースとして、そこに出てくる見出し語を基本的に50音順で順番に提示して、新井田氏・吉村氏にアイヌ語で答えてもらい、さらにその細かい意味・ニュアンスや類義語との使い分けについて尋ねたり、その見出し語を含む短文をアイヌ語に訳して発音してもらったりしている。ただ、テープを聞く限り、その場で日本語を提示してその答えを記録しているという感じではなく、あれこれやり取りを行った後、最終的な段階として吹き込みを行ったという感じのものが多い。たとえば、「こうがい(口蓋)」などという日常に使われることのないような日本語に対して、両氏がnikotorと即答しており、「じぶん(自分)」に対しては、yayという、単語の一部でしかなく通常は単独では出てこないような要素も回答している。

また、短文などのアイヌ語訳についても、片山氏が期待しているような形で発話されなかった場合、どのように言ってほしいかを片山氏が指示して、言い直しを行ってもらうような場合も多々見受けられる。これはやはりテレビ番組のディレクターとしての、片山氏の基本的な姿勢なのであろうと思われる。

今回公開する「アイヌ語鵡川方言日本語—アイヌ語辞典」においては、そのような資料の性格も鑑みて、片山氏が目指していただろう形式を追及することにした。すなわち、片山氏と新井田・吉村氏のやり取り自体を対象とするのではなく、片山氏が最終的に提示しようとしていたと思われる音声部分をなるべく抽出して提示するという形にした。したがって、言いよどみ、言い直しを行ったと思われる音声はカットし、またこれを聞いて学習しようという人にとっては不要な、音声上の空白時間もなるべく詰めることにした。ただし、片山氏が最初に見出し語や例文を提示する際の音声はそのまま残したが、新井田・吉村氏がアイヌ語で短文などを発話した後、片山氏がその日本語訳をつけている場合があり、これについては「備考」欄で表示することにして、音声ファイルからは削除した。聞き手の便宜と、技術的な問題から、個々の音声ファイルはなるべく1分以内で収まるようにしたので、そういったことから、用法に関する貴重なやり取りもカットした部分がある。

また、片山氏・新井田氏・吉村氏以外に、門別町(現・日高町)の鍋沢強巳(なべさわつよみ)氏が同席して、発言・アドバイスなどを行っていることが多い。鍋沢氏が記憶していた語例を、片山氏が新井田氏・吉村氏に繰り返させることも多く、その旨は備考欄に注記した。その中には鍋沢氏のみが記憶しているものも含まれている可能性はあるが、中川の経験上、話者の「知らない」「聞いたことない」という発言はそのままとるわけにはいかない場合も多い。ひとつには男性あるいは自分より年上の人と同席している場合、女性は遠慮して発言を控え、知っていることでも「知らない」ふりをするのが、高齢のアイヌ女性にはよく見られる習慣であることが挙げられる。もうひとつ、我々の吉村冬子氏の聞き取りに際して、氏が聞き覚えのある単語はすぐに理解・再現できるのに対し、本当に聞いたことがないと思われる単語は、それを聞き取ることさえ困難であることが多かった。そういったことから、鍋沢氏の発音を再現できているものは、少なくとも記憶中に何らかの形であったものである可能性が高い。そのようなことから、片山氏が「これは鍋沢さんの言葉」としている場合でも、新井田氏・吉村氏が発話しているものはここに提示した。

ただし鍋沢氏は鵡川方言の話者ではないことと、同氏の音声使用についてはご遺族からの許諾を得ていないため、今回の資料公開にあたっては同氏の発言の箇所はカットしている。しかし、鍋沢氏の発言部分も含め、今回の日本語-アイヌ語辞典では公開していない部分にも、たくさんの貴重な情報が含まれていることは言うまでもないことであるので、それは今後別の形で、多くの人が活用できるようにしたいと考えている。